au三太郎の生みの親、クリエイティブ・ディレクター篠原誠さんのインタビュー後編!

インタビュー
au三太郎の生みの親、クリエイティブ・ディレクター篠原誠さんのインタビュー後編!

2回の後編では、現在クリエイティブ・ディレクターとして活躍される背景や、孫とおばあちゃんを繋ぐ歌として話題の「デッカイばあちゃん」作詞についてのお話しを伺いました!

 
篠原誠

【プロフィール】

三重県出身。一橋大学商学部を卒業後、株式会社電通に入社。営業志望だったがクリエイティブ配属になり、『au 三太郎シリーズ』『家庭教師のトライ』などのCMを手がけ、2015年クリエイター・オブ・ザ・イヤーを受賞。『海の声』『みんながみんな英雄』の歌詞を手がけ、NHK 『みんなのうた』の「デッカイばあちゃん」でも歌詞を担当。

 

TOPIC1:クリエイティブ・ディレクターになるまでに

TOPIC2:作詞家として

TOPIC3:人生の座右の銘

 

 

TOPIC1:クリエイティブ・ディレクターになるまでに

 ―クリエイティブ・ディレクターという職業を選ばれたきっかけは?

これといってやりたいことも、なりたいものも無かったのですが、とにかく新しい場所に行きたいと思い東京の大学を選びました。行くなら国立だな、理系より文系の方が後々職業を選べる幅があるだろうな、そういう取捨選択で一橋大学の商学部を選び、そこでマーケティングに出会ったんです。


―大学で「マーケティング」に出会い、広告代理店に入社を決めたと。

当時“サンキューセット”というのが流行っていて、ダジャレかと思っていた値段付けにも意味があることを知ったんです。ものを売るためにその裏側で大人たちが戦略や戦術を立てて、予想をしながらヒットに繋げていくというのが面白くて、自分がやりたいのはこれだ!と思ったんです。出来るだけ色んな企業のマーケティングを見てみたかったのもあり、最終的に広告代理店(電通)に就職することを選びました。


―電通の面接時は営業志望だったのに、配属されたのはクリエイティブだったと。

研修期間が終わって、たまたま配属されたのがクリエイティブの部署でした。全然違うところに来たな…と。そこで後の大師匠となる友原琢也さんに出会い、色んなことを教えて頂いて、仕事をこなして行くうちに、これはこれで面白いなと思えてきたんです。

CMっていうのは商品を消費者に届ける最後の定着部分だけど、そこを考えるときにマーケティング的な思考や表現方法とか、そういったものが生かされないわけじゃないなと気づきました。今は、より川上統合というか、どういう風なことを訴求すればいいのか、どういう風な戦略を立てればいいのか、全体的なコミュニケーション戦略をどうすればいいのか、という様なことを考えたり、さらには商品開発やサービスに関してまで携わる様になってきたので、元々やりたかったことに近づいて来た気はしています。

―ヒット作を生み出すセンスというのは、仕事をしながら磨いたのですか?

自分にはセンスも才能も、無いことに自信があるぐらい無いと思っています。

ただ、広告クリエイティブはボルト(※陸上選手)みたいな人はいないと思っていて、例えるなら障害物競走やリレーの様なもので、100m走ではボルトの様な天才には圧倒的に勝てないですが、400mリレーだと努力や工夫、技術でカバーして勝てるんですよね。

―仕事を通して、センスではなく“スキル”を鍛えてきたと。

そうですね。チームの戦い方とかチームのマネジメントの仕方とか。あとは単純なことですけど、人が5時間考えるところ20時間30時間考えるとか。努力が報われないこともありますが、努力しないと勝てないとは思っているので、自分の出来ることを精一杯やるだけです。

 

TOPIC 2:作詞家として

―au三太郎シリーズから生まれた「海の声」や「みんながみんな英雄」「見たこともない景色」、さらに最近ママの間で“泣ける”と話題になっている「デッカイばあちゃん」等の作詞を手掛けられていますが、作詞をするうえでのこだわりや、大切にしていることなどはありますか?

 
初めて作詞をしたのは「海の声」でした。当時auの新商品として「声質がいい」というのが売りだったので、広告的な観点と、あとは個人的に“この歌を送りたい人”を決めて、その人のために書きました。
反響を頂いてから分かったことが、広告というのは最大公約数の人にわかるように、より分かり易く広く告げないといけないけれど、歌詞はよりせまく告げた方が共感を得られるのだなと気づきました。それからは、“この人のために贈ろう”と送る相手を決めて、世の中の時世を見つつ、お手紙を書くつもりで作詞しています。

 
―「デッカイばあちゃん」は誰を思って書かれたのですか?

この歌は、利樹くんとおばあちゃんのリアルなエピソードが元にあったので、そこから膨らませながら、自分の母親に向けて書きました。

―ママの間で「泣ける」という現象が起こっていますが、どの様に感じていますか?

みんなのうたのアニメーションの影響もあると思いますが、もしかしたら、自分のおばあちゃんではなく、母親と自分の子どもが接している姿を見て泣けているんじゃないかなと思います。
以前作ったJTCMで、就職したばかりの男の子が、なかなか仕事がうまくいかず、親からのメールや電話を無視したり、親の気持ちを分からずに親のことを粗雑に扱うんですが、最後「ありがとう」と伝えに家に帰ってくるというCMを作ったんです。
それを見たCMプランナーの奥さんが、自分の子どもはまだ4歳なのに、子どもが大きくなっていつかこうなると未来を想像して号泣したそうなんです。それを聞いて、人は思わぬ方向に置き換えて感動するんだなと、改めて気付かされましたね。

 

TOPIC3:人生の座右の銘

ー篠原さんにとっての人生の座右の銘を教えてください。

3つあって、まず一つ目は「人生いろいろ」。
よくCMプランナーになるには何をやっていればいいですか?とか、何歳ぐらいまでにこれをやっていればいいですか?と聞かれることがあるのですが、僕がクリエイター・オブ・ザ・イヤーを受賞したのは22年目の時で、だいたい10年目ぐらいでブレイクすると言われているので、めちゃくちゃ遅い方だったんです。すぐに結果が出る人もいれば、すごく頑張っていても報われない人もいる。こうあらねばならないとか、これは間違いだとか、みんなと違うとかを意識せず、いいことも悪いことも含めて“人生いろいろ”だと思えば楽チンになるので、何かあれば思い出しています。

2つ目は、ビビる大木さんのギャグで「前向きすぎて死んだやつはいない」という言葉。
前向きはタダなので、どうせなら前向きに考えた方がいいなと思っています。みうらじゅんさんの本にある「そこがいいんじゃない!」というフレーズもそうで、嘘ばっかり付く人がいる、でも「そこがいいんじゃない!」と言っちゃうと、そこがいいのかなとなるし、あの人は借金ばっかりしてる、でも「そこがいいんじゃない!」と言っちゃうと、なんかいいのかもな~と(笑)。全肯定の言葉って、心がおおらかになったり幸せになる言葉だと思うんです。

3つ目は、しんどいときやつらい時に必ず思うことで「3年後には忘れてる」ということ。3年前の悩みなんて何一つ覚えてなくて、仕事で追い込まれてる後輩を見ると、「残念なお知らせがあるんだけど、3年後覚えてないから」と言ってよく励ましています。もし3年後覚えていたら、とんでもなく最高の思い出になるよと。失恋したときの辛さも、3年後には忘れているはず。もし3年後覚えていたとしたら、それは最高の恋愛をしたということだと思います。

~おわり~

 
前編・後編を通して、“無いものは作るしかない”という幼少期時代から、右も左もわからない新入社員時代、さらにヒット作を手掛ける今に至るまで、常に人一倍考え、アイディアを出し、努力でクリエイティブしていく篠原さんの姿勢に、“誰もが可能性を持っているんだよ”ということを教えて頂いた気がします。

 

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