きゃりーぱみゅぱみゅのジャケットデザインやラフォーレ原宿のメイン広告などを手掛けた、Steve Nakamuraさんにインタビュー!<前編>

インタビュー
きゃりーぱみゅぱみゅのジャケットデザインやラフォーレ原宿のメイン広告などを手掛けた、Steve Nakamuraさんにインタビュー!<前編>
きゃりーぱみゅぱみゅのジャケットデザインやラフォーレ原宿のメイン広告など、人の目を惹くユーモアな作品を生み出すアートディレクター、Steve Nakamuraさんへインタビュー。

全2回の前編では、幼少期のエピソードを伺いました。


◆プロフィール

1973年、ロサンゼルス生まれ。ロンドンのCENTRAL SAINT MARTINS卒業。2001年から東京で活動。きゃりーぱみゅぱみゅのCDジャケット(2011〜2016年)やラフォーレ原宿の年間メインビジュアル(2015年〜)、SHISEIDO、NIKE、PARCOなどのビジュアル広告を手がける。プライベートでは2歳の男の子のパパ。
http://stevenakamura.com




 ・きゃりーぱみゅぱみゅ「ファミリーパーティー」2014
きゃりーぱみゅぱみゅ「ファミリーパーティー」2014

●TOPIC1:カリフォルニアが与えてくれたもの

●TOPIC2:ハマったらとことんオタクになる

●TOPIC3:人生を変えた父親からの一言

 

<TOPIC1:カリフォルニアが与えてくれたもの> 

まずはSteveさんの子ども時代のお話しをお聞かせください。

生まれはロサンゼルスですが、子供時代の大半をバークレーやサンフランシスコで過ごしました。当時(70〜80年代)のバークレーはとてもリベラルな街で、街全体にロックやソウルのカルチャーが根付いていたり、ヒッピーがたくさんいたり、面白い場所でした。家がテレグラフアヴェニューの近所だったので、ローカルなレコード屋や古着屋、ピザスライス屋ばかりありました。

僕の両親は二人とも日本人で、近所には他にも「ナカムラさん」が4人いたり(笑)、アジア人や黒人、南米人も住んでいて、マルチカルチュラルな場所で差別もあまり無いエリアでした。

 

どんな遊びをしていましたか?

野球は見るのもするのもとにかく好きで、野球選手のカード入りのガムを好きな選手があたるまで買ったり、「この選手来年人気出るよ!」とか言って友達と交換したり。

ビデオを買って選手のプレイ技術の研究もしてました。13歳の頃には、このスタジアムでは左に風が吹いてる時のホームランの距離はこれぐらい、みたいなことも全部わかっていたし、とにかく野球に関してはオタクでした。でもチームでは一番三振が多かったです(笑)。

中学生になってからはDJをやりたくて自分でターンテーブルを買って、毎日10時間ぐらい部屋に籠ってスクラッチの練習をしたり。母親が心配して部屋まで見に来たこともありました。

 アートやファッションも好きで、女性のファッション誌もよく読んでました。それは友達にもいえなかったし、おばあちゃんにはゲイだと思われていました(笑)。

小さいころから視覚的に面白いものが好きで、高校生の頃にGAULTIERなどが流行っていて、そういう洋服がヴィジュアル的にとても面白く感じたんです。遊びや興味の幅は広くて深くて、どれも夢中になるものがたくさんありました。

 

ご両親が音楽やファッションが好きだったり?

父親は経済の専門家で母親は図書館の司書だったので、まったく二人から音楽やファッションの影響は受けてないです。どちらかといえば育った土地柄の環境の影響ですね。音楽のカルチャーが強い場所だったので、ライフスタイルとかファッションとか食べ物にも影響していて、とにかくMIXされてました。そういうところにいると自然とオープンマインドにも育つのではないかな。

あと、カリフォルニアに住む人たちは土地柄的にもそれぞれ何かにこだわる人が多くて、車なんかは自分でカスタマイズする人も多い、そういう場所なので、音楽なんかも自然とみんなと同じものじゃなく、誰も聞いたことのないようなものが欲しくなるんですよ。

 

<TOPIC2:ハマったらとことんオタクになる>


習い事はしていましたか?

両親が教育者だったので、かなり教育に対してはサポートしてくれていて、習い事も沢山しました。
ギター、バイオリン、フルート、クラリネット、柔道、日本語学校、野球のリトルリーグ他にも。
ただ、絵を描くことはとにかく好きで、小さい頃からずっと描いてました。一番興味があったのは、絵でした。


どんな絵を描いていたのですか?

ファンタジーの世界を想像して描いたり、特に気持ち悪い怪物や虫っぽいキャラクターが大好きでよく描いてました。昔、父親とゴールデンゲートブリッジに釣りに行った時も、釣りには興味がなくて、石の裏にいる虫ばっかり探していたのを覚えています。あと、親から聞いた話では、動物園に行った時も動物じゃなく、ゴミ箱に何が入ってるかに興味があって、ゴミ箱ばっかり見ていたそうです(笑)。

何が入っていて、何が出てくるのかという面白さに興味があったんだと思います。

 

見つけたものを絵に描いたり?

いえ、見たことがあったり図鑑に載ってるものは描いたことがなくて、自分の頭に浮かんだものを自由に描いてました。どんなものも色やシェイプ(形)がすごく大事で、「見た目がいい」というのは形と色が面白いバランスになっている。それは描きながら自然に気がついたことです。

今のアートディレクターという仕事にも繋がっていると思います。

たくさん楽器を習われていましたが、何か続いたものはありますか?

音楽は何も続かなかったですが、演奏よりもヒストリーが好きで、高校ではJAZZのヒストリーを研究していました。JAZZのレコード屋でもアルバイトをしていて。小さなお店で、お客さんもおじいちゃんが一日二人ぐらい。暇だからずっとレコードを試聴していました。このピアノソロは誰だろう?と思って調べて、その人の違うセッションを聞いてみたり、そこからどんどん掘り下げていく。野球もJAZZもかなりのオタクでしたが、何かに詳しくなるということは自分にしか出来ないものを作るということでもあって自分らしさに気づいて自分に自信を持つことにもつながります。自分の子どもにもそのスキルを身に着けて欲しいと思いますね。

 
ラフォーレ原宿「LA40RET 40TH ANNIVERSARY 年間広告メインビジュアル2018」

 

<TOPIC3:人生を変えた父親からの一言>

―両親から言われた記憶に残る一言はありますか?

高校生の頃、悪いことをして父が迎えにきたことがあって。父はどちらかというと感情的な人だったので、怒鳴られると思っていたのに車の中では一言もなくて、家についてから「まだ若い時でよかった」と一言だけ残して部屋に戻っていったんです。そこから“もっとちゃんとしないと”と意識が変わって、親だけじゃなく色んな人を大事にするようになりました。本当にそこから人生が変わりました。

男の子には、思春期のちょっとした悪さをする時期って必要だと思うんです。人生のアップダウンがあってこそ人として伸びていくだろうし。うちの場合は全部を説明するより「自分で考えろ」ということだったんですが、深く見守ってくれているんだなと思う一言でした。

後編に続く。

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